「瞑想」と聞いて、思い浮かべるものは人それぞれ異なります。足を組んで静かに座ること、癒しの音楽を聞きながらリラックスすることをイメージする人もいるでしょう。瞑想は様々な文化の中に存在し、瞑想状態に入るための方法も多種多様です。何千年も昔から、その教えと実践方法は世代から世代へと、口伝えで受け継がれてきました。瞑想について記された文書は数多くありますが、多くの人は依然として疑問を抱えています。瞑想というのは、そもそもとても主観的な概念なので、その本質については様々な見方があるのです。
まず、瞑想は「する」ものではありません。元々の意味を紐解いていくと、瞑想とは状態であり、在り方です。またその状態にたどり着くための道具や方法は、何百通りも存在するため、なんとなく「道具や方法を使うこと」=「瞑想」なのだと認識している人も多いはずです。その中でも一番馴染み深い方法は、座って行う気づきの瞑想ですが、次第にこの瞑想で使用される座り方が、瞑想の同義語のように扱われるようになりました。代表的な例では、禅仏教の坐禅、そして古代インドの教えであるヴィパッサナーなど、様々な種類の瞑想を耳にした頃があるかもしれません。どちらもなんとなく、あぐらを組んで静かに座り、目を閉じ、呼吸を整える…というイメージがあるのではないでしょうか?しかし、本来瞑想というのは、この姿勢で座ることよりももっとずっと深い意味があるのです。私たちの脳はまるでフル稼働している工場のように、絶えず膨大な思考を生産しています。人間が1日に生み出す思考は、およそ6万にものぼるという研究結果も出ています。思考がどう機能しているのか、そのメカニズムや原因については、まだまだ謎に包まれているところも多いですが、脳科学や心理学の発達により、思考の本質と瞑想が思考に与える効果は、数多くの研究結果が裏付けています。
また、よくあるのが「瞑想とは、心を無にすること」という誤解です。「常に色々なことを考えてしまって、瞑想できないんです。どうしたらいいですか?」という内容は、もっとも多く寄せられる質問かもしれません。この誤解が、瞑想への興味ややる気を損なう大きな原因となっています。とにかく何も考えないようにしたり、思考を押さえつけたりすることは、実はとても不毛な戦いです。本当に瞑想に必要なのは、もともと脳が持っている「思考を生み出す」という働きに逆らうことではなく、思考の動きや流れに気付くことなのです。今日の思考はアップダウンが激しいなと感じたら、その動きに焦点を当ててみて下さい。逆に、器にピンと張った水のように、動きが感じられないときがあるかもしれません。そんな時は、その静寂に意識を向けてみて下さい。思考の安定感も移ろいやすさも、両方味わってみましょう。大切なのは、一瞬一瞬形を変える思考や感情に気づき、あなたの意識と感性を育てていくことです。
では、瞑想を始めるにあたって、どこから始めるのがいいのでしょうか?どんなときも、最初のステップは「観察」だということを覚えておきましょう。思考が浮かんできたときに、イライラしたり、それをどこかへ押しやろうとしたりするのではなく、まずは観察してください。あまり近づきすぎると思考に巻き込まれてしまうので、一歩下がって客観的に眺めるイメージを持ちます。私の先生は、こんな例えを使っていました。
「映画を見ていると考えてみて。武器をたずさえた騎士たちが、戦いの準備をしているシーン。そして、彼らは馬に乗って戦場へと向かい、気高く戦っているシーン。私たちはただの観客。スクリーンに映るその映画を見ているだけ。決して、自分が騎士になったり、戦いに挑んだりはしません。」
絶え間なく浮かんでくる思考を追いかけ、過去や未来に結びつけてはストーリーを作り出していく…これではまるで戦いの準備をしている騎士と同じではありませんか?瞑想に必要なのは、ただあなたの思考の観客でいることなのです。私たちは頭の中のシナリオによって消耗します。未来に起こるかもしれないことを数え出したらキリがないですし、どんなに過去の出来事にこだわっても時間を巻き戻すことはできません。瞑想する際には、思考と思考の間にあるわずかな隙間を探してみましょう。その隙間で、休むのです。空白の時間に気づき、それを大切に味わうという練習を続けていくと、トレーニングで筋肉を鍛えるのと同じように、思考を観察する能力を高めることができるようになります。
思考はグラデーションのように変わり続けます。どこから思考が始まり、どこで途切れるのか、そしてどのタイミングで新しい思考が現れるのかはとても分かりにくく、その隙間に気付くことも最初は難しいかもしれません。こんな時こそ、瞑想に使える道具やテクニックを取り入れてみてください。最も広く知られているものは、呼吸と体を意識することですが、その他にも瞑想状態へ導いてくれる方法は存在します。じっと座ったり、静寂の中にいることだけが瞑想ではないのです。実際、心身に溜まった余分なエネルギーを取り除いた後でなければ、瞑想状態に入ることはできないと考えるメソッドもあります。ですからヨガでは、体を動かした後、最後に静かに横たわるシャバーサナというポーズを取り入れるのです。シャバーサナは「眠りの瞑想」とも呼ばれますが、実際には完全に眠ってしまうのではなく、体は休息しながらも脳が覚醒しているまどろみの状態をさします。もし座って行う瞑想がうまくいかないのであれば、ゆっくりと体を動かしながら行う立位の瞑想や、臥位の瞑想を試してみるのも良いでしょう。心を落ち着ける方法は、人それぞれ違います。自分では気付いていないこともあるかもしれませんが、例えば工作をすることや楽器を弾くことがあなたにとっての瞑想かもしれません。家で一人で踊っている時や泳いでいる時、散歩している時など、何かに夢中になって時間の感覚を忘れてしまったことはありませんか?なんとなくこれをしていると気持ちが落ち着く、と感じたことはありませんか?無意識にあなたを集中状態に導いてくれるものは、どんな行動でも瞑想になり得ます。本に載っている型やスタイルに縛られることなく、自分の「瞑想」を探してみましょう!
次によくある誤解は、「瞑想すれば、すぐに結果が出る」と期待し過ぎてしまうことです。少し座って呼吸に集中すると、目の前の景色が一変して、悟りの境地に到達できるだろうと考えるのは、あまり現実的ではありません。瞑想は、最初から魔法のような力を持っているわけではなく、他のスキルや習慣と同じように、毎日の積み重ねによって上達していくものです。体を鍛えるのが筋トレ、脳を鍛えるのが瞑想、と考えていただくとより分かりやすいかもしれません。私たちの脳は何年、何十年も、常に忙しく動くことに慣れてしまっています。いわば、この状態が今の私たちにとっては “デフォルト” なのですから、一晩でそれを変えることはできないでしょう。ですが、千里の道も一歩から。思考の渦から抜け出して、思考の目撃者であろうとする過程が、実はすでに瞑想なのです。忍耐力と思いやりの気持ちを忘れず、一回一回の瞑想と真摯に向き合っていけば、自然とあなたの脳は鍛えられていきます。なんとなく瞑想は心が経験する抽象的なものだというイメージがあるかと思いますが、実は肉体的なプロセスでもあるのです。ある行動を繰り返すと、脳の線条体という領域を含む回路が,一連の行動を1つの「チャンク」として扱うようになり、これが習慣として定着していきます。つまり、古い習慣から、新たな習慣にシフトチェンジしていくとき、脳内では新しい神経回路が作られていくのです。道を作るという大工事を行なっているのですから、時間がかかるのは当然です。最初から瞑想を「上手にやろう」とか「成功させよう」と思うのではなく、日常の一部にすることを心がけてしてください。
瞑想はいつでもどこでも実践できるものですが、心身を瞑想状態に切り替えていくために、何かきっかけのようなものが必要だと感じることがあるかもしれません。そんな時には、道具も取り入れてみましょう。五感を使って、意識を研ぎ澄ますことのできるものがおすすめです。一般的なものだと、ティンシャや鈴を鳴らし、音が聞こえなくなるまで追いかけて、さらにはそのあとの残響も感じていくといった方法が用いられます。聞こえる小さな音に集中して、意識のピントを今この瞬間に合わせることで、瞑想に入る準備運動の役割を果たすのです。また、多くの人が瞑想の間は目を閉じていなければいけないと思い込んでいますが、あえて目を開けることで、集中状態が高まる場合もあります。私たちは、受け取る情報の80%以上を視覚に頼っていると言われていますから、視線を目の前の対象物に固定するだけで一点集中しやすくなるのです。別のケースでは、目を閉じて瞑想していると内側の世界を強く感じすぎてしまい、不快感やフラッシュバックなどに襲われることがあります。もしこのような状態になってしまったら逆効果なので、すぐに目を開けるようにして下さい。
瞑想する際は、まず「呼吸」と「体の感覚」に意識を向けること。そして慣れてきたら、「感情」と「思考」に注意を移していくことが大切です。どのように瞑想すればいいのかよくわからないという人も、この2ステップを覚えておきましょう。一段階目は、とにかく今この瞬間にとどまることに焦点を当てています。これに慣れてくると、自然と自分の感情や思考の幅にも気づけるようになっていくのです。ここまでくれば、感情や思考の支配から抜け出し、今までよりも一歩下がって物事を見れるようになるでしょう。瞑想とは、自らの内面を見つけ出す道のりです。内側の世界を掘り下げていくうちに、今この瞬間に生きるという感覚が身についてきます。
ですが、一つ注意していただきたいのは、瞑想は万病に効く薬ではないという点です。確かに瞑想は、私たちの意識レベルを高め、人生に様々な良い影響を与えてくれます。たくさんの種類の瞑想がありますが、他の治療法などと同様に、その全てがあらゆる場面で有益かというと、一概にそうとは言えません。例えば、フラッシュバックが頻繁に見られるPTSDの人や、重度のうつ病の人などは、瞑想をしない方が良い場合もあります。瞑想とは「苦しい感情をニュートラルな状態で見ること」という考えにとらわれないようにしましょう。自分の感情に気づき、一歩下がって見つめる、という本来の意味は、自分にとって今何が必要なのかを見極め、次のアクションを自ら選択するということなのです。瞑想中、もし苦しいという感情に気づいたのなら、今のあなたに必要なのは、おそらく瞑想を中断することでしょう。心の声に敏感になって、自分にとって最良の選択をできるようにする。そのために瞑想があることを忘れないでください。
一方で、瞑想を単なるリラックス法としてみることも、よくある間違いの一つです。瞑想は脳波を整え神経系に働きかけるので、確かに気分を落ち着ける効果もあります。しかし、ただリラックスするためだけに瞑想するというのは偏った考え方です。気づく力が高まると、安らぎや落ち着きを生み出す一方で、今まで蓋をしていた不快な感情や思考も見つかります。瞑想とは、選り好みして見たいものだけを見るのではなく、今ある状態をありのまま受け入れることです。臭い物に蓋をしていると、見えないだけでいつまでもそこに残ってしまいます。元から根を断つためには、どうしても一度蓋を開けて向き合わなければなりません。このプロセスが瞑想です。途中リラックスとは正反対の経験をすることがあるかもしれませんが、これも瞑想の一部なのだと理解しましょう。自分の状態を確認しながら、無理せずバランスよく取り組んでください。
また、リラックスすることで、瞑想の途中やあと眠くなってしまう人もいます。これはよくあることですが、毎回そうなるのであれば、脳や神経系が疲れている証拠かもしれません。睡眠導入用に作られたものは別として、本来、瞑想は人を眠りに導くものではなく、穏やかな覚醒状態を促すものです。もし毎回寝てしまって瞑想した気がしないという場合は、別の姿勢や、歩く瞑想などの方法も試してみるのが良いでしょう。
瞑想は、自分が何を認識していて、何を認識していないのか、そしてそのことにどう気付くのかを教えてくれます。時に行き詰まったり、心地良さを感じたり、自分が今この瞬間どんな状態なのかを理解できていると、もっと自主的に人生を歩んでいくことができるでしょう。あなたは瞑想に対する先入観や思い込みを持っていますか?瞑想を実践する前に持っていたマイナスイメージや行きすぎた期待は、時間と共に変わってきましたか?この記事を読んで、瞑想に対する見方や考え方に何か変化があったら、ぜひ聞かせてください!
翻訳者