思いやりの心が「ありのまま」を受け入れる

皆さんは、他人の振る舞いに対して不満を感じたという経験はありますか?自分の生き方をなかなか認めてくれない家族や、お金や昇進しか頭にないような同僚、あるいは世界で起こっている政治的な問題の数々。こういったことに心かき乱されないための秘訣は、「思いやり」に隠されています。

「思いやり」を解き明かす

思いやりには、大きく3つの側面があります。1つ目は『信頼すること』、2つ目は 『ありのままを受け入れること』、そして最後が 『ジャッジしないこと』です。もう少しわかりやすく「自分」と「他者」へのアプローチに置き換えてみましょう。自分を思いやる時、「どんなことがあってもなんとかなる、自分は大丈夫だ。」と心から信じ、揺るぎない自信を持つことができます。対して、他者を思いやる時には、ネガティブな考えに囚われている人々の苦しみを受け入れ、理解してあげられる深い愛情が溢れます。『信頼』や『受容』そして『ジャッジフリーの世界』は、いつも思いやりの心から生まれるのです。

思いやりの根っこには私たちの「認識」があります。例えば、あなたが木陰でひと休みしたいと思った時、木の下に腰掛け、自然にその幹に背中を預けます。力強く根を張る木を見て、あなたは「この木なら寄りかかっても大丈夫だ」と認識し、安心しているからです。同じように、「この世界は愛で満たされている」「私は何があっても乗り越えられる」こんな風に心の奥深くで思えていたら、人生に身をまかせるのも難しくないでしょう。人との関わりにおいても、他人の考えていることはその人以外、実際には誰もわからないという本質に気づけていれば、他人を受け入れることは容易になります。皆それぞれ異なる意見を持っていて、自分の考えもその中の1つに過ぎないと思えば、他人をジャッジすることなどないでしょう。

「覚醒した自己」は自分の中に存在する

自己、英語で言う”self”という言葉の意味は「自分のこと」と言ってしまえば終わりですが、実は私たちの中には、3つの『自己』が存在します。個性的な自己、観察的な自己、そして覚醒的な自己です。『個性的な自己』とは、身体や感情、精神で構成されるものや存在としての自分を指し、『観察的な自己』はそんな自分の個性を外側から観察できる自分を指します。例えば、あなたは自分のことをどんな人間だと思いますか?少し考えてみてください。今これを考えながら、あなたは第三者として客観的に自分のことを見ようとしていますよね。つまり「見ている自分」と「見られている自分」がいるはずです。前者の見ようとしている主体としてのあなたは『観察的な自己』、後者の見られている客体としてのあなたは『個性的な自己』と言えます。そして最後の『覚醒的な自己』とは、この「見ている」「見られている」という次元を超えた存在、いわば「見えていないものに目を向ける自分」と言い表すことができるでしょう。誰よりも素直な気持ちで自分の心の声に耳を傾け、個性の中に眠っている可能性を引き出します。覚醒した自己は常に思いやりの心を持っているのが特徴です。たとえあなたが自分のことを大した才能も能力もない人間だと「見て」いたり、周りにつまらない人間だと「見られて」いたりしていたとしても、それは自分で素直な心をかき消しているだけかもしれません。覚醒した自己は、“あなた”という個性に優しく近づいて、あなたにしかできないことやあなたの秘められた力を「見つける」のです。これは、行動として思いやりを振る舞うのではなく、”あなた”という個性を器として、心そのものを「思いやりの心」に変えていくことができます。

ここで瞑想やスピリチュアルな世界に関心のある方がやってしまいがちなのが、この「自己の目覚め」を勝手に拡大解釈して、周りの世界にそのまま当てはめてしまうことです。宗教や思想をイメージしてみると理解しやすいかもしれません。あなたが救われた、ためになったと感じた時、おそらくこの気持ちを共有したい、身近な人にも教えてあげたいと思うでしょう。この時あなたの心は確かに思いやりで満たされていますが、その想いだけで突っ走ってしまえば、一方的に押し付けることになります。良かれと思ってしたことであっても、そのアウトプットレベルを間違えば「ありがた迷惑」ということになりかねません。私たちは大抵、覚醒的な自己の気づきを頭で理解しているだけです。何がいいと思ったのか?なぜ素晴らしいと感じたのか?それは自分だからこそ響いたのか、もしくは皆に有益な『普遍の知恵』があったのか?覚醒した自己はあくまでも自分の中に存在します。”あなた”というフィールドでの気づきは、”あなた”のフィルターがかかっているかもしれません。このポイントを覚えておきましょう。自分にとっての「素晴らしいもの」は、必ずしも他人にとっての「素晴らしいもの」ではないのです。

普遍の知恵と生きる

私たちはそれぞれ、異なる個性を持ち、様々な環境の中で生活しています。ですから、思いやりとはこういうもの、と一つの物差しを持って皆をジャッジしたり、同じ行動や振る舞いを求めたりするのは、まったくもって的外れな話なのです。

その代わりに、私たちはもっと冷静になり、自分たちの心の中にある普遍の知恵に耳を傾ける必要があります。瞑想などのマインドトレーニングは、自分のエゴを静めると同時に、何が『普遍の知恵』なのかを見極めるのにも役立ちます。トレーニングが深まっていくと、自分の頭の中にある小さい枠にとらわれて物事を判断することが減っていきます(自分の枠組みがどれほどちっぽけなものだったかよくわかってくるのです)。そして本質に気づきやすくなり、正しい意味での『覚醒した自己』に基づいて決断を下せるようになるのです。思いやりの心が出来上がれば、自然と信頼や受容が湧き出し、そこから思いやりの行動や振る舞いが生まれ、さらにはジャッジフリーの世界が現れてくるでしょう。


思いやりの心を育むために

心そのものを「思いやりの心」にして、覚醒した自己とさらに足並みを揃えるために、私たちは何をしたらいいのでしょうか?

1つ目の鍵となるのが瞑想の実践です。瞑想は私たちの「気づき」のレベルを格段に上げてくれます。他に知られているスピリチュアルな方法や、マインド・エクササイズもありますが、すべては瞑想の準備運動のようなものです。毎日継続して瞑想を行うことで、あなたは日頃から他人に対してもっと愛情深くなりますし、それ以外にも様々な効果を実感することができるでしょう。

2つ目は、思いやりから自然に生まれた過去の行動を逆行分析することです。これは『リバースエンジニアリング』とも呼ばれます。思いやりを育む直接的な方法ではありませんが、その仕組みを理解する上でとても重要な作業です。『受容』『信頼』『ジャッジフリー』思いやりを構成するこの3つの観点から行動を省みることで、その行動の裏にはどんな気持ちがあったのか、どんな心の動きによってその気持ちが生まれたのか、心が動いたのは何故なのか…このように、自分の中にあった思いやりの心や覚醒した自己への道筋が明らかになり、より密接につながることができるようになります。逆行分析で得たものを実際の行動に応用するときには、まずその行動が本当に実用的で有益なものであるのかを考えることが重要です。そして同時に、3つのポイントから生まれたポジティブな意図を持っていなければなりません。ときには勇気を振り絞って、行動に移さなければならないこともあるでしょう。例えばあなたが友達と正反対の意見を持っている場合、嫌われるかもしれないけれど正直にあなたの気持ちを伝える必要があります。常に他人を喜ばせたり、調和を保ったりすることが、必ずしも思いやりではないというポイントを覚えておきましょう。本物の思いやりは、時に他人を怒らせてしまったり、彼らのエゴに触れてしまったりすることもあります。たとえ心が痛んだとしても、私たちは思いやりを燃やし続けなければなりません。

思いやりの心が育っていくと、だんだんと他人を理解し、ありのままの姿で受け入れることができるようになります。相手を変えようとしたり、他人に自分の考えを押し付けたりすることが無くなり、ただその場に存在するという感覚が掴めてきます。思いやりの心は、人を判断しません。私たちは他人の悪いところばかりに目を向けてしまいますが、このベールを1枚めくると、その先に見えてくるもの。それは「愛」です。すべてのものは愛によって支えられ、愛によって作られます。「思いやり」とは人生に対する本物の「愛」なのです。

今度あなたが他人を受け入れられない、信頼できない、ジャッジをしていると感じた時には、まず深呼吸をしてみましょう。そして、あなたが下したその決断についてもう一度考える時間を与えてください。『覚醒した自己』と『普遍の知恵』の声は、あなたに何を伝えていますか?瞑想や、行動の逆行分析を通して、あなた自身と覚醒した自己が共鳴し合うと、この質問に対する答えがどんどんクリアになっていくでしょう。そしてあなたの人生は驚くほどに、思いやりと無限の愛で満たされていきます。

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